ゴミ拾いのお師匠

徒然なるままに

私には「ゴミ拾いのお師匠」がいます。
と言っても、お名前も知らず、お声がけしたこともありません。
ただ、心の師として仰いでいるだけです。

お師匠は、70代後半ぐらいの男性とお見受けします。
私が川沿いを散歩していると、毎朝7時頃、自転車に乗って颯爽と現れます。
そしてゴミを見つけると、火箸とビニール袋を手にして自転車を降り、曲がった背中をさらに丸めて、そのゴミを拾ってくださるのです。
自転車の荷台には段ボールが積まれていて、たくさんのゴミを回収できるよう工夫されていました。

お師匠が通った後の遊歩道は、いつもピッカピカ。私含め、みんながその道を気持ちよく散歩できるのは、間違いなく、お師匠のおかげです。
どこから業務委託をされているわけでもなく、お礼を言われるわけでもない。
それでも、ただ黙々と、毎朝道を綺麗にするそのお姿に、私は感銘を受けました。

それと同時に、「私には真似できない」とも思いました。
その川沿いの遊歩道は私にとって、清々しく、とても大切な場所です。
なのに、そこを汚す人の後始末をして回るなんて、朝から嫌な気持ちになるに決まってる…
最初はそんな風に思っていました。

でもある日、お師匠が拾いに行くと危ない場所に、ゴミを見つけました。
土手の縁に置き去りにされたペットボトル一つでしたが、私はそれを拾って帰りました。
「少しはお師匠の助けになれたかも!」
そんな喜びが、その後の私の足取りをひときわ軽くしてくれました。
この日私は、「ゴミって気持ち良く拾うこともできるんだ」と気付いたのです。

以来、お師匠と比べるとほんの僅かですが、私も毎朝ゴミを拾うようになりました。
引っ越しを期に、お師匠をお見かけすることはなくなりました。
ですから今のゴミ拾いの動機は「お師匠の助けになるため」ではありません。
私自身が、大好きな散歩道の環境を守りたいからです。
拾ったプラゴミの数だけ、「今日も傷つく海の生き物を減らせた」と思うようにしています。
拾った紙ゴミの数だけ街が綺麗になることを、気持ち良いと感じるようになりました。

最近は、ゴミを捨てた人の気持ちにも寄り添えるようになってきました。
「ここで飲むレモンサワー、最高っすね」
「空気が美味しいから、タバコと交互に吸ったらさぞ旨いんでしょうな」
そんなことを呟きながら、空き缶や吸い殻を拾っています。
こうしたゴミを残していく人たちも、キッカケさえあれば、この道を「綺麗にする側」になるんじゃないか――。私はそう信じずにはいられません。
だって、彼らもこの自然の中でひと息つきたいと願った人たちなのですから。

いつか私も、誰かのお師匠になれたらいいな。
そう願いながら、私は明日も、ゴミを拾います。

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